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人工透析日記です。まぁ、透析とは関係ない旅行の話が多かったり、愚痴のほうが多かったり。透析歴8年になりました。日々勉強と試練と壁にぶち当たっています。
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プロフィール
HN:
ちえみ Ninja
性別:
女性
職業:
病院事務(勤務2年目)
趣味:
LIVE参戦、音楽鑑賞、ゲーム、アニメ、読書、写真、映画鑑賞など
自己紹介:
2008年8月、23歳で透析導入となりました。
ちなみに誕生日の次の日です。

~透析導入までの道のり~

小学5年生の時、ネフローゼ症候群にかかる
1年間の入院ののち無事退院。
月1回の通院生活を送る。

大学生になり、自分で車を運転したり遊びを覚えるうちに、自分の病気のことはおざなりに。。。

社会人になり、忙しさに追われる。
2008年4月、右目が乱視のようになる。
10時間以上パソコンと向き合う仕事だったため、
視力が低下したと思い、近所の眼科へ行く。

眼科の先生に、「視力は悪くない、目の出血がひどい。このくらいの出血だと、脳内出血の可能性がある」と言われ、市立病院へ。。。

脳のCTを撮ったが、異常は見られず。。
血圧も高いことから、内科へ移される。

血液検査、尿検査、レントゲンなどをし、
そのまま、血圧を下げる目的で1回目の入院となる。
(血圧200/110、クレアチニン6.15)

血圧が下がることでクレアチニンも下がり退院。
(血圧130/80、クレアチニン5.41)
職場へ復帰する。(2008年、5月)

また忙しい日々に追われる。

下がると思われていたクレアチニン値が徐々に上がり始める。

そして8月、緊急入院。
頸動脈へカテーテルを入れて、透析生活が始まる。




そして現在に至る
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ごめん、今日は私の上司(会社のお局様)の愚痴です。

とにかく話が止まらない、話が止まらないのに手が止まる。
話に夢中になって周りが引いてることがわからない。
立ち去ろうとしている相手に構わず話し続ける。

人の話を横から奪う。
横から奪った話を得意げに話す。
少しでも自慢話をしようものなら対抗して
いかに自分のほうがすごいか語りだす。

『これが好きなんですよ~』
というと、
『私も昔からこれが好きなんだよね』
と明らかな嘘をつく。

人のプライベートを根ほり葉ほり聞きたがる。
話の流れで聞かれるならまだしも、無言で仕事してたのに
突然『先週の土曜日と日曜日は何してたの?』
『透析のない日の夜は何してるの?』
と聞き出す始末。

話しているふりをして、目は人のパソコンを勝手に覗く。
課長の仕事を監視して無言で様子見をする。

表向き仲良さそうにしている人の陰口をたたく。
それもドン引きレベル。

会社の文句を言う。自分が少しでも納得できないと
ここまで言うか?というくらい文句をいう。
お前は経営者かよ?そこまでいうならお前がやれよ。

毎日体調が悪い自慢。

これをすべて無意識に毎日繰り返す。
自分では『若い子にも付き合えるし、みんなに好かれて、
話し上手、聞き上手、相談にも乗れるし、うまい解決策を提案できる
私ってなんて素敵なの!』と言わんばかり。
付き合わされている私はほんとに気が滅入っている。
上司だから無下にできないし、むしろ年齢的にも私が
注意できるような年の差でもない。

課長から注意してほしいものの、
課長を見下しているのでそれもできない。

しゃべりに仕事しに来てるのかよ?
しかもその話の内容もほんっとにくだらないものばかりで
苦笑いしかできない。

この部署に異動してから
1年を超えたが、この3~4か月特にひどい。

これが更年期なの?
私は思う。もとからの性格が悪いから、こうなんだろうなと。
自分ではいい人を演じているけど、結局どうすれば自分の思う通りに
事が運べるのかということしか考えてない。

本人が性格から直すことに気づかない限り無理だろうな。

だからその年になっても結婚もできないし、
男性からも敬遠されているんだろう。

いつまでも30代の時の初めての元カレの話を
自慢げに話すしな。もうその人は妻帯者なのに。
(本人は50代です)

同じ話をさも初めて話すような感じで話し出すし。
もうその話、5~6回くらい聞いてますけど?って思う。
しかも最初から事細かに詳細を話す。

いい加減にしてほしい。

自分でそういう人生の選択をしてきてるんだから、
今更さみしくなって話し相手を無理やり見つけたいっていうのは
都合よすぎない?

ほんとに仕事場にいる8時間が苦痛で仕方ない。

はぁ。こいつのせいで仕事も来ないし、
仕事を振られても、断ってくれるしな~。

毎日やることがない。ほんとに仕事辞めたいレベルまで来ている。

科長も科長でやる気ないし。
自分の仕事しか取ってこないし。

だからみんなから白い目でしか見られないんだよ。

いい加減にしてほしい。



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昨日、青年との面接おわりました。

話した感じ、
私もそうだったのですが、視野の狭さゆえの頑固さがあるな~というのと、
とても悩んで不安でいるんだろうな~というのが伝わってきました。

でも、昨日帰る頃にはけっこう自分が思っていることとかを
積極的に話してくれて、少し顔つきも明るくなっていたので
少し勇気がわいたか?って感じです。

この面談を取り持ってくれた心理士さんにも
すごくよろこんでいたよ~と言ってもらえたので
なんとか私に求められていたミッションは果たせたのではないでしょうか。。。

あとは彼次第だと思います。

どういう生き方を選ぶのか、どういう生活環境を求めるのか、
人それぞれ違うし、昨日の話の中でどう感じ取ってくれたかと
いうのは本人のみぞ知るということで。
そこまではたとえ同じ境遇だとしても私の立ち入るべきスペースでは
ないのです。


でも緊張して脇汗ハンパなかったwwww
テンション上がりすぎて、しゃべりまくってた気もするし。。。www
コミュ障乙wwwww

でも若いから、ほんと、今いろんなことに前向きになってくれると私はうれしいな~。

とある青年との面談にむけて、
私も伝えておきたい情報は改めてチェックしなきゃ。。。!
というのと、それと同時に
私の無神経な言動で傷つけやしないかと心配でたまらないので、
話の伝え方、話の聞き方、コミュニケーションとは?というのを
勉強しております。

やっぱり相談に乗るからには、ちゃんと本人が自立して
頑張ってくれるまで真摯に向き合いたいですし、
また自分には同じ悩みを相談できるような相手もいなかったから、
自分が彼にとってそういう存在になれたらいいなって思うし、
ほんとにまだまだ若いから、早くに気づけば気づくほどできることは
たくさんあるし。

なんか。。。透析をしているから仕事はできないと思っているみたいで。。。。

そんなこといったら、一生懸命遊んで、適当に仕事をしている私は
なんていうんだwwwwて思うし、
世の中には、五体不満足でも毎日をハッピーに楽しく暮らしている人がたくさんいる。

私たちは、内臓が一か所動いていないだけで、
目も見える、耳も聞こえる、話せる、香りを感じることができる、
手も足も自由に動かせる!=できることは無限大!!

ただ一つ、他人には見えない苦労があるだけです(・∀・)

ま、ま、そんなことはどうでもいいとして、
とにかく勉強をですね。。。。しているんですよ。。。

外見ではわからないとよく言われるのですが、何気に緊張してしまう人なので、
自分を安心させるためにも、いろんな知識を入れ込んでいるのです。

安心感を与える話し方とか、信頼してもらえる話し方とか。。。。
性格上、ぶっきらぼうの話下手を自覚していて言葉も乱暴ですしな。。。。

でも今読んでいる本がとても読みやすくてわかりやすい!
『プロカウンセラーの聴く技術、話す技術』
という本です。

気になる方はぜひ読んでみてください(^^♪


またまたお久しぶりの更新です。
でも1年は開いていなかったからよかったwww

ここは私の本心を吐き出す場なので、最近はなかなか生活に満足しているのだと理解。
ま~、いろいろな環境や心境の変化はありますが。。。

普段の私が元気に飛び回っている様子はアメブロでご確認くださいwww⇓

沖縄からバンギャが行く!!!(←クリックでブログへ飛びます・別ウィンドウで)

なかなかご好評いただいておりまして、アメブロのV系ランキングでは100位~500位の間を
行ったり来たりしております。



今回なぜ思い出したかのように、このブログを更新したかというと、
あるきっかけができまして。。。私の負の部分を振り返るために、
読み返す必要があったからなんですが。。。

今は色々と割り切って、前向きに考えて行動できているので、あまり沼に足を突っ込むことも
減ってきましたし。。。

そのあるきっかけとは。。。。
なんと!いよいよこの不良患者にもこれから社会という名の厳しい大海へ羽ばたく若者へ
アドバイスをしてほしいという依頼がありまして!!!(´゚д゚`)
自分のためにもお引き受けしてみようと思うのです。

私なんかのだらけた私生活の過ごし方が参考になるのかもわかりませんがww
もしそれで何かを感じてくれたらいいな~。アドバイスで前向きに行動してくれるといいな~
って思います。

世界は広い。何事も自分次第。
決めるのは自分。決めないのも自分。
行動しないのも自分。行動するのも自分。

世界は誰に対しても大きく開けているのに、それを恐れて行動しない、
視野を狭めてしまっているのは自分なのですから。

そういうニュアンスを伝えたいと思います。

最近は若い子の透析が増えてきました。
日本人は先天的に腎臓が弱いのに、塩分の多い食事、食事の欧米化、
着色料や保存料が多く含まれた食生活、暴飲暴食、スナック菓子の主食化などなど。。。
知らずに自分を傷つけてしまっていますな~・・・そんなことはこの体になってから
わかったことではありますが。

親世代がそういう食生活、または甘やかした食生活だと、子どもにも影響しますな。
どんどん抵抗力が弱くなっていきます。
また最近は親が食事を手作りしなくなりましたし、総菜や冷凍食品とか出来合いのもの
を食卓に出したり。。。そういうものはたまになら美味しいし手軽だけど
やっぱり塩分、着色料、保存料いろんなものが入っていますし。
(過去ブログでアメリカのお菓子大好き!着色料大好き!先生ばか!と叫んでいた
私のことはどうか忘れてくださいwwwwww←)

腎臓病なんて、先天性でなければ自分たちで防げる病気なのです。
だから、普段から自分の体に取り入れるものには少しだけ気遣ってあげると元気で丈夫な
体が保てるのにな~。

若いうちから腎臓病っていう不便で治らない病気になるなんてもったいない!!
なってしまったら一生おつきあいしていかないといけないし、本当にやりたいことが
あったとしてもその可能性を狭めてしまうんだからさ。

未成年のうちは親が気遣ってあげてください~。どうか~。

ってここ最近増えつつある若年層の腎臓病患者を見て思います。

どうですか?少しは真面目になったでしょ?wwwww



最後の更新が2013年1月15日でした。。。。Σ(・ω・ノ)ノ!

確かに、日記残してないな~とは思っていましたけど、まさかこんなに時が経っていたとは。。。
またこまめに残していこうと思いまする。

なぜこんなにも期間が空いてしまったのかというと、過去の日記を見返していて気づいたのですが、
自分が甘いな~と。言い訳ばかりつらつらと書き綴って満足しているな~と。。。
思ったわけです!!

それに転職をしまして、そちらの精神負担がすごく大きくてこちらに日記をつづる気力が
なかったという。

ちょっと真剣に取り組むか~なんて思って、今に至るという。。。
そして、たいして真面目にやっていなかったという。。。。( ̄▽ ̄)

実は、今年で三十路を迎えるわけですが、最近いろんな体調の変化が著しく、年齢を重ねるって
こーいうことか~なんて思ってるわけです。

一番顕著なのは、皮膚疾患でしょうか。
乾燥肌が酷くなって、シャント肢周辺のテープかぶれが治らないです。
すこしでもばんそうこうの粘着部が触れるとすぐに悪化します。
かゆいので無意識に掻いてしまいます。

あとこれは透析とかは関係ないのですが、
毛穴が目立つようになって、しわができているような。。。
くすみが目立ってきているし、吹き出物ができやすく、治りにくくなりました。

ということで、内面から修復していきたいと思い、プラセンタコラーゲンを摂っています。
アミノ酸が入っているので、リンが上がりやすいのは重々承知の上ですが、はっきり言って
人体実験のようなもんだと思っているので、服薬を真面目に行って補っていければいいな~
と思っています。

それでリンコントロールがうまくいかないならまた別の方法を探します(∩´∀`)∩
まだ始めたばかりなので、どうなるかはわかりませんが。

そして、わたしの近況としては、なんと母が移植前検査を受けると突然言い出しまして。
移植外来を受診しました。が、体重をあと20キロ減らさないとオペができないということで
今継続的にダイエット外来を受診してくれています。でもたぶん受診したことで満足した
のでしょう、受診前まで頑張っていたダイエットも今は体調不良を理由にやっていません(笑)
移植について、私も10kgほど減量できるならしたほうがいい(透析患者は本来減量しづらい
ということなので、できるならということでした。)と言われたので、私も受診以来、
気愛入れて週に3回近所のジムへ通っているのですが、それについても
「なんで最近真面目にジム行ってるの?」と聞かれましてwwwww
こちとら「。。。えっ!?(◎_◎;)」と(笑)

ま、わかっていたことですな(笑)

最初からわかっていたことなので、私は移植コーディネーターさんにも家族や知り合いからの
生体移植については「期待していない」ことを事前に伝えていました。

結局、母にとっての移植とは自分のプライドや自己満足の糧でしかないということです。
私の母は、もともと軽度の代理ミュンヒハウゼン症候群の気があるので(私を傷つけたりということはないですが、他人がいる前では必要以上にかまってみたり、世話をやいたり、いかに自分が私のことを大事に思っているかそれらしく話したりということをします。)受診したという事実が
あればよいのです。

彼女のプライドは保てたと思うので、いいんじゃないでしょうか。

受診前にコーディネーターさんと話す機会があるのですが、そこで今仕事をしていないのは
私の移植のためにダイエットに専念するから辞めたと言っていたそうです。
おいおい、ちょっと待て、と。もともと仕事を辞めたのは職場で酷い扱いをうけて続けられなかったからですよねwwwそんなかっこいい理由ではなかったはずですwww
ま~いいけど。どんな理由であれ彼女がそう思っているなら、そうですし。何か
理由がないと仕事をしていないことが後ろめたいのでしょう。

あと、私の体重に対するダイアライザーが小さくてこのたび変更することになりました。
今まで誰もそんなこと気遣ってくれなかったのですが、ようやくそういうことに目を向けて
くれるようです。

体重68kgの男性がダイアライザー11というなんとも小さい透析膜を使っていたことが分かった
ということで見直しをするようです。半年もの間透析不良だったようです(。-`ω-) ま、半年で
気づけて良かったと思います。

あと、シャント肢が最近痛いので、そろそろ2回目のPTAを受けることになりそうです。
ちょっとしたツテで、末梢血管を専門にするドクターとお知り合いになれたので、PTA
をするときはその先生を訪ねようかと思います。私の血管は細くうねっていて、深いところ
にあるので絶対に楽しんでもらえると思います。



相変わらずGACKTファンは辞めておりませんwwそしてLIVE参戦も相変わらずですwww

今日、仕事場で回覧が回ってきた。
ビジネスを向上させるための小冊子なんだけど。

内容はビジネスマン、特にリーダー以上の人に向けて書かれた内容だったんだけど、
なんだか、すごく励まされたというか、私の闘病生活のヒントになりそうな言葉がたくさんあって、
すこし勇気がでた。

タイトルにも書いた通り、
「レベルが高いほうが苦労をする」
という項目があった。
パッと聞くと、すべてを見下しているかのように感じるけど、そういうことを言いたいわけではなくて
そういう風に考えて、鬱になりそうな絶望的な状況の中で、自分で自分を励まして奮いたたせる言葉
なんですよね。

「・・・そうか!私は周りの人より一段レベルが高いから、みんなよりも苦労をしないといけないんだ(*・ω・*)」

と、自分で自分を称える!高める!
すごくいい考えだとおもいました。


それで、今日一日はなんとか持ったんだけど、今このブログを書いてる中で、

「机_┗┐(-ω-)y-~ヤッテランネーヨ」

なんて思ってる自分がいます。。。

はぁ、何が言いたいんだろう。何がしたいんだろう。。
自分でもよくわからないまま、ただ生きてる。
今の仕事に就いてますます、自虐してしまって辛いです。
ほんとの自分はもっと明るくて能天気だったはず!!

事務っていう裏方の仕事がつくづく自分に合ってないんだな~って感じます。


達成感もない、ただ毎日雑務をして過ごしてかといって、和気藹々できるわけでもなくて、
むしろ今やウザがられる始末。。。

とにかく、私の働いてる場所には、笑顔がない!活気がない!絆がない!

一番の原因はそこでしょうな。

私が、笑顔で受け答えても真顔で返してきたり、「何言ってんだ?こいつ?」的な顔されるし、
自分の部署に関係ないと思うと、すぐに突っぱねてきたり、そのくせプライドだけは高くて、
できないと思ったらすぐに「無理!」っていうし。わからないから教えてほしいのに
聞いたら聞いたで「そんなこともわからないの?。。。」というオーラだしてくるし、間違えてることを
本人に指摘しないで、本人通り越して、上司や先輩に報告、それで「何かありましたか?」と聞くと
「気にしないで。」と言われて、輪の中にも入れない。指摘されてる内容が分からないから
気をつけようもないし、正すこともできない。

そんな中でも、声をかけてくれる人や助けてくれる人がいるからまだ救われている。
まったく別の職種からの中途採用だから、右も左もわからなくて、でも今までの通りにはできなくて
右往左往しているのを見かねて助け舟を出してくれる人がいる。

少しづつ、少しづつ慣れて行こう。

出すぎる杭は打たれる。今はその状況なのかもしれない。
今までがそれで成り立ってきたからといって、この仕事でそれが通用するかといったら
この閉鎖的な環境では難しいんだろう。

自分がもっと地道に頑張ればいい。この世界に必要のない笑顔なんてない。
上を向いていこう。前を向いていこう。




基本的に、私、寝るのが怖いです。

夜になると、眠らないといけないっていう概念も分からないし。

昔の人は明かりもないし、暗くなったらすることもないから、寝たほうが合理的だったと思うけど、今の時代、睡眠が取れるならいつでもイイと思う。

特に、週末とかは月曜日まで生きれるのかなー??とか思ったり。

はっきり言って、平日2時、3時に寝るのだって無理やり眠ってるし。

本人がそれでサイクルできてるんならいいんじゃないかな?

寝ろ、寝ろっていうけど、それはなんの心配もない健康な人のことであって、死の恐怖にさらされたことのない人たちがいう言葉だよね。

私は毎朝、日の光を浴びて『よし、生きてた。』と思う。安心する。

多分、幼い頃のトラウマも原因の一つかもしれない。

幼い時はひどい喘息持ちでふとしたキッカケですぐに息が出来なくなった。

夜中苦しくて起きても、親に気を使って我慢できるなら我慢して、そうして朝を迎えることも多かった。不思議と朝になると治まるというか、やっと呼吸が元に戻った。

夜中じゅう息苦しさと戦って、『大丈夫、大丈夫。すぐに楽になるから』って唱えながら、少しでもパニックになると酷くなるから、自分に言い聞かせて、戦った。

幼いながら、精神が弱いからそうなるんだって思ってた。

それでも我慢できなくて、
母を起こすと舌打ちされて『自分で病院いけ!』って怒鳴られることがあった。なんやかんや病院には連れて行ってくれたけど、家での言葉とは正反対に、看護師さんの前で私に愛想良く接する母に虫唾が走ることもあった。

反対に、当時の育ての父は私の前では何も言わずに、ただ病院に連れて行ってくれた。喘息の治まった帰りには、冗談一つで笑わせてくれた。

でも、大抵は母を真夜中に起こして病院に連れて行ってもらった。その度に『また?』っていう顔をされた。でも、それも仕方なかったかもしれない。あの時の喘息は本当に頻繁で、我慢することも多かったけど、我慢できない時も多かった。

何日か発作が続くと、息が出来なくて耐えることは難しかった。苦しくて喉を掻きむしったり、のたうちまわったりした。限界の限界まで堪えて、それでももう無理!っていう時だけ起こした。私なりに精一杯耐えて、『起こすか?起こさないか?』悩みに悩んだ上で起こすのに、起こす度に嫌な顔をされて、夜、眠る前に『今日も喘息になるのかな?なりませんように!』って思いながら眠りについて、夜中、やっぱり苦しくなって起きた時、『また起こさないといけないのかな?』って考えて泣いた。

何回も空を見上げて、神様に『早く発作が収まりますように』『また病院に行きたくないから、みんなが起きてから病院に行くから』ってお願いをしていた。

発作に耐える時、肩で息をするから朝にはぐったりしていたけど、それでも何もなかったふりをして学校に行った。

小学校高学年の時に、腎臓の病気になって、一年間入院をした。

夜になると、寂しくなって色々考えたりもした。思えば、初めて自殺を考えたのもこの時期だ。

今は、自殺なんて言葉にするのも馬鹿馬鹿しいけど、当時は真剣に、自分は親や妹たちに迷惑かけてばかりでどうしようもなくて、ここから飛び降りたらどうなるかな?とおもったこともある。

とにかく夜は寂しかった。消灯時間になると電気を消しにくるのだが、その時に、『今日もお見舞いなかったなー』って思ったり。

退院してしばらくは喘息の発作も少なくなって、中学生の頃には、スプレータイプの喘息を抑える薬をもらっていたから、喘息を耐えることもなくなった。

逆に、頻繁に使うなと言われてたのに少しでも苦しくなると使ってしまって、それが心配だったけど。

小児喘息だったから、高校生になると発作はほとんどなくなった。

高校を卒業して、社会人になってからは喘息の発作はない。

しばらくはなんの心配もせずに、夜を迎えていた。

再び、夜が怖くなったのは本当にごく最近のことだ。

透析を始めてからだと思う。

とにかく、その頃から眠るのが恐怖だった。とにかく眠ったらダメだと思っていた。

昼間は透析に行って、帰って来てバイトに向かった。

身体が辛い日もあったけど、家で横になると、母に嫌味を言われるので、それが物凄く嫌で辛くても何もないふりをしてバイトに行った。

朝になると、ゴミ捨てや飼ってたペットのトイレ掃除とかをしないと行けない。眠ると起きれないから、朝方まで起きて、全てを終わらせて眠った。

それでも家で落ち着いて眠ったことはない。どんなに疲れて眠っても叩き起こされた。

眠る暇なんてなかった。

そんな生活で3年ほど過ごした。

今は、引っ越してバイトも変えてるけど、全く眠れない。

前の生活から抜け出せないでいる。

眠ったら、何が起こるか分からない。
私が眠っても良いのだろうか?
眠ったら何も分からない。。。

そんな恐怖がある。

別に何も悪いことはない。ただ、眠ったらいけない。という生活が長過ぎて、眠れないだけなのかもしれない。

ただ、いつも眠る前に、本当に眠ってもいいのか?って考えてる。

そうすると、眠ったらダメだ。と思う。

喘息の話とか関係ないのかもしれない。でも、夜が嫌いなルーツはそこにある。

だから、無理に寝ろ、寝ろと強制するのはやめて欲しい。

寝る時は眠っている。
それでいい。

私だって、夜に眠れない葛藤はある。
けど、目をつぶるのが怖い。
だから、眠れない。でも、眠くなったらねむってる。

身体に従ってるだけ。

眠りたくもないのに、無理やり眠ることが出来ない。

寝ることが趣味の母には何一つ伝わらない。

世の中が全部自分と同じサイクルであるべきだと勘違いしている。

私が、夜、眠らない理由さえ考えたこともない人だから。というか、その理由も全く持って理解不可能だろう。

お願いだから、私に干渉するのはやめて欲しい。って、堂々と本人に言えたらいいのに。

多分初めあたりで、ぶちぎれてもう話も出来ない状態になるだろう。

この人は、私たち子供を個人として見るのではなくて、奴隷か召使いかだと思ってるようだから。口答えをしようものなら、即、手が出る。

感謝しろなんだのと怒鳴り散らすだろう。

だから、一生この人には、私の本心は明かさない。一生、本当のことは言わない。上辺だけ繕って生きていく。

それでいい。

こんな風に思うのは、私が甘えてるからなのかな?こんな風に、周りに気を使えないから、みんなに合わせて生活をしようとしない私が甘えてるのかな?

いや、そうではないはず。
私は、私なりに考えて生きてる。この人の言いなりになって生きるのが正しいことではない。

私は私で生きることが、正しい。

周りに気を使って、周りがそうしてるからそうやって生きるなら、ただのからくり人形と同じ。

今はこれでいい。
自然に変わるなら、変わってる。
それでイイと思う。















ま、職場で色々と思うことがあって、
少し鬱気味です。

そうすると、普段は自分の中で押さえ込んでやり過ごせることも、
なんだかいっぱいいっぱいになって、
でもどこにもぶつけられなくて、
結局、鬱みたいな。。。ね。

そうすると、
やはり普段は気にならない(というのは語弊がありますが、
気にしたところでどうにもならないこと)ことも、うじうじと考えてしまうわけで。。。


例えば、さっきも
寝てた母が起きてきてトイレに入ろうとしてたんですが、
私がヒーターつけてるのを見て、
いかにも嫌な顔をして
『お前、なにヒーターつけてんの?今日は寒くないだろ、ほんとにバカじゃないの?!』
と言ったわけです。

確かに今日はさほど寒くはありませんが、生理中でどうしても浮腫んでるからだだと、指先や足先の末端が氷のように冷たくて冷えるんです。

それを温めたくて、ヒーターをつけてるわけです。
いつもなら、そんなことを言われても、無視して軽く流すんですが、
今日は言い返さない代わりに、こうしてうじうじと『どうしてそんな事が言えるんだろう?』と考えてるわけです。

言い返したところで、
ただの私の言い訳としか捉えてもらえないですし、また次に同じようなことがあった場合、同じように言うでしょう。

それから、
この前、腎移植フォーラムと題して、
進化した移植事情に関する講座があり、妹と二人で行ってきました。

そこで使用したスライドのプリントなど、一式を頂いたのですが、
口では私の身体がどうのこうのいうくせに、自宅に戻ってきて改めて観て勉強して感想を言ってくれるわけでもなく、そのプリントは一式全部車に放置して、次の日にはグシャリとなってました。たぶん、荷物の下敷きになってたのでしょう。

私がそれを観てどれだけショックだったか、この妹にはわからないでしょう。

みることはないにしても
せめて家に下ろして保管してくれるとかしてくれなかったのか。

あの講座をみて、どう感じたんでしょうか。

それで、帰ってきて母に『講座にいって来たから、資料だけでもみてくれ』って机の上に出しました。

母に声かけなかったのにも、私なりの理由があって、これまでの積み重ねです。要は。
以前にも同じような講座に参加した時、妹と同様、その資料は車に置きっぱなし。しまいにはどこにおいたのか忘れる始末。

それに、他人のまえでは、
知ったような口を聞くけど、何にも分かってないのが事実。
私は、黙ってるだけで何も言わないけど。

本当に、私の病気について知りたいなら、自分でも勉強するのが普通じゃないかな?本当に知りたいなら、そうするよね?

私がポツリポツリと呟いた浅い知識だけをさも、自分はちゃんと理解してるかのように話すけど、それも浅過ぎて間違った解釈になってるし、
話にならない。

それで説明したら、
『自分の都合のいいように話してるだろ?』と言われる始末。

私が腎臓病になった時、透析を始めた時、本屋でそれに関する本を買ってたけど、ぺーじを開いたことさえない。

こういう経緯を踏んで来たからこそ、
連れて行ったところで、何かが変わるわけでもなし。全部を知った気になって、また、周りに自慢げに話すんだろう。

結局、母が言った事は
『どうせあんたは自分の事しか分かっていないわけさ。なんでこんな事があるって一言言えないの?そんな風にされて、私がどんな気持ちになるかわかる?』
『資料は後からみるから、片付けて置いて』

でした。旗から聞けば、
母がかわいそうに感じるかもしれません。

本当に後から見るなら、資料は自分で片付けるはずですし、
どんな話があったのか私に聞いてくるのが普通かな?と思いますが、私から今日はどんな話があったか話し始めてもテレビに夢中で返って来た言葉はなし。

私も途中で話すのは辞めました。

未だに、資料は?と声かけてくる事もないですし、たぶんもう忘れてることでしょう。



透析を始めた時に、早速移植の話がでて、父は迷わずたくさんの検査をしてくれました。

けど、カテーテルを3回もしてる身体では何が起こるか分からないから、出来なかった。

母は、定年を迎えるまで待って欲しいといいました。それから、私に腎臓を与えたら、またすぐに調子に乗るから、お前が反省してちゃんとできるようになるまでは、やる気はないって言われた。

最初でそう言われて、この人から腎臓を貰いたいと思えるだろうか?

目に見えて分かってることは、
腎臓を私にあげた途端に、事あるごとに恩着せがましく小言を言ってくるだろう。ということぐらいです。

私だって、
ほんとは移植したいです。
やりたい仕事があるし、やりたいことだってたくさんあります。

私は、生活習慣病でこうなったわけじゃありません。

もともと腎の働きが弱かったのに、それを無視して働いて、なかったことにして、そうして来た結果の今があるんです。

確かに、私の生活や行動が悪かったのは認めます。
だけど、あの時は夢に向かって進んでたし、それが楽しかった。
自分のやりたかった仕事に付いて、認められて、一人で仕事が出来るようになって。

誰が止められるのでしょうか。

薄々、感じてはいました。
なんか身体がおかしいって。
だけど見て見ぬ振りしてた。
それに気付いたら、辞めないといけないのが分かってたから。

ぎりぎりまで行こうって。

現に、辞めることになって、
なかなか仕事が見つからない中、
見つけたとしても、私の病気について理解してもらえないし、
今は障がい者雇用で、採用してもらって、邪魔者扱いで仕事をしてる。
どれだけ惨めな気持ちで毎日過ごしてるか。

本当は、そんな風に過ごしてる。

だけど、それを認めてしまったら、
自分を否定することになるわけで。

移植したら何か変わるのかな。

透析患者の平均寿命は、
15年から20年らしい。

ということは、このままずっと透析をするなら、あと10年生きられるかどうかなんだな。

はあ、考え過ぎて疲れた。
とにかく、これからも私が家族に『私のことを分かってもらおう』とは
思わないこと。

協力してくれるなら、
とてもありがたいけど
私から協力は求めないこと。

家族から腎臓をもらう気はさらさらないこと。

これだけは確か。

この一、二年ほど、
月経前の体調がかなり不安定で、
この数ヶ月に至っては、身体も起こせないほど具合悪くなったり、ひどい頭痛で目も開けられなかったりと、
ホルモンバランスの乱れが際立っている。


某レンタルショップでバイトしてた頃は、体力もありなんとかそっちでカバーしたものだが、辞めてからというもの、急激に体力が落ちてしまい、自分の身体も支えられなくなった。

ロコモ予備軍だなー、怖いなー。

歳も歳だからな~、やっぱり継続的に身体を動かして体力をつけなきゃな。
早めにジムに通おう-_-b

透析してると色んな人をみるが、身体が動けなくなって、車椅子生活しながら透析してる人とか、家族に支えられて通いにくる人とかが多いんだよね。
私は子供も産まないし、後世は老人ホームに入ろうと今から考えてるけど、その時に他人様の手を借りるような老人になりたくないし、ただでさえ透析という枷があるのだから、ボケずに元気に暮らしたい。

それはいいとして、
それで、
うちの部署にいる保健師さんに相談したところ、
漢方を使うことをオススメされた。

本人も使っているそうで、
結構いい感じらしい!!


でも、カリウム値とか今飲んでる薬との組み合わせが、心配だったから、
今日、透析回診の時に先生に相談したら、漢方使ってもOK言われたから、
今度そのオススメの婦人科にいってみようと思う。

でも、漢方って怖いな~。

少しでも改善されるといいけど。





とわ言え、退院してからだいぶ経ってしまった。笑。

いろいろあって、ようやく落ち着いたところだ。

ひとまず、
今回の入院はPTA(血管風船拡張術)の失敗で、血管が裂けてしまったことが原因で、
入院は10月9日から20日までの11日間だった。

知人の挙式が21日にあって、その日に間に合わせるための退院だったが、それにしても前日って。笑。
友人代表挨拶も任されていたにも関わらず、何にも準備出来なくて(挨拶は入院中に考えたけども。)行って来た-_-b

なんの予定もなければ、
入院長引いていたかもしれない-_-b

退院時のシャント肢
(実際は、もっと肘から下が真っ黒になった。)


退院時のカテーテル抜いた跡


テープかぶれが酷いです。

っと、こんな感じで痛みもあったし、退院後は内出血が引くまで自宅療養をしていました。先生の見通しどおり、内出血がひくまでひと月はかかっています。

この日記を書いている今でもまだ、完全に内出血は引いていないし。

もうだいぶ目立たないけど、完治!ではありません。

そして其の間に、勤め始めたばかりの会社を辞めることになり、確かに勤め初めでひと月も休まれちゃ堪らないし、それよりは新しく雇ってもらった方がいいと思ったし。

私的には、毎日が充実して楽しかった仕事だし、辞めるのは惜しかったですが、仕方がないです。

それに、通院している病院のご厚意で、お仕事をさせてもらえることになり、一般事務という私の中で新しいジャンルのお仕事を始めて10日程になります。

とってもありがたいです(>_<)

透析という治療にも理解があるし、休みも多く、残業もなく帰れる。社内規則や制度がしっかりしてるし、安心出来ます。

表に立つ仕事は、それはそれで大変ですが、裏でコツコツやる仕事は頭も使わないといけないし、やることが山積みだし、それなりに上下関係も厳しくて大変です。


ただ、この仕事を始めて分かったことが、やっぱり私は人を楽しませる仕事が本当に好きなんだな〜ということです。

やっぱり観光業に戻りたい。

仕事は覚えることもたくさんだし、やることもたくさんで大変だけど、毎日が同じことの繰り返しで、淡々と過ぎて行く。

わたしにとっては堪え難い日々であります。

これも仕方のないことなのかな?と感じるこの頃です。

最近までは、
透析だから出来ないと思うのは偏見だ!とか
思ってたんだけど、
こういうのも仕方のないことなのかな~。とか思うようになりました。

諦めることが多くなってきたように感じます。

でもいつかは、
自分の好きなことがやりたいし、
近い将来はそういうことが出来ると思う。コツコツ頑張るだけだ。




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