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人工透析日記です。まぁ、透析とは関係ない旅行の話が多かったり、愚痴のほうが多かったり。透析歴8年になりました。日々勉強と試練と壁にぶち当たっています。
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プロフィール
HN:
ちえみ Ninja
性別:
女性
職業:
病院事務(勤務2年目)
趣味:
LIVE参戦、音楽鑑賞、ゲーム、アニメ、読書、写真、映画鑑賞など
自己紹介:
2008年8月、23歳で透析導入となりました。
ちなみに誕生日の次の日です。

~透析導入までの道のり~

小学5年生の時、ネフローゼ症候群にかかる
1年間の入院ののち無事退院。
月1回の通院生活を送る。

大学生になり、自分で車を運転したり遊びを覚えるうちに、自分の病気のことはおざなりに。。。

社会人になり、忙しさに追われる。
2008年4月、右目が乱視のようになる。
10時間以上パソコンと向き合う仕事だったため、
視力が低下したと思い、近所の眼科へ行く。

眼科の先生に、「視力は悪くない、目の出血がひどい。このくらいの出血だと、脳内出血の可能性がある」と言われ、市立病院へ。。。

脳のCTを撮ったが、異常は見られず。。
血圧も高いことから、内科へ移される。

血液検査、尿検査、レントゲンなどをし、
そのまま、血圧を下げる目的で1回目の入院となる。
(血圧200/110、クレアチニン6.15)

血圧が下がることでクレアチニンも下がり退院。
(血圧130/80、クレアチニン5.41)
職場へ復帰する。(2008年、5月)

また忙しい日々に追われる。

下がると思われていたクレアチニン値が徐々に上がり始める。

そして8月、緊急入院。
頸動脈へカテーテルを入れて、透析生活が始まる。




そして現在に至る
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ま、職場で色々と思うことがあって、
少し鬱気味です。

そうすると、普段は自分の中で押さえ込んでやり過ごせることも、
なんだかいっぱいいっぱいになって、
でもどこにもぶつけられなくて、
結局、鬱みたいな。。。ね。

そうすると、
やはり普段は気にならない(というのは語弊がありますが、
気にしたところでどうにもならないこと)ことも、うじうじと考えてしまうわけで。。。


例えば、さっきも
寝てた母が起きてきてトイレに入ろうとしてたんですが、
私がヒーターつけてるのを見て、
いかにも嫌な顔をして
『お前、なにヒーターつけてんの?今日は寒くないだろ、ほんとにバカじゃないの?!』
と言ったわけです。

確かに今日はさほど寒くはありませんが、生理中でどうしても浮腫んでるからだだと、指先や足先の末端が氷のように冷たくて冷えるんです。

それを温めたくて、ヒーターをつけてるわけです。
いつもなら、そんなことを言われても、無視して軽く流すんですが、
今日は言い返さない代わりに、こうしてうじうじと『どうしてそんな事が言えるんだろう?』と考えてるわけです。

言い返したところで、
ただの私の言い訳としか捉えてもらえないですし、また次に同じようなことがあった場合、同じように言うでしょう。

それから、
この前、腎移植フォーラムと題して、
進化した移植事情に関する講座があり、妹と二人で行ってきました。

そこで使用したスライドのプリントなど、一式を頂いたのですが、
口では私の身体がどうのこうのいうくせに、自宅に戻ってきて改めて観て勉強して感想を言ってくれるわけでもなく、そのプリントは一式全部車に放置して、次の日にはグシャリとなってました。たぶん、荷物の下敷きになってたのでしょう。

私がそれを観てどれだけショックだったか、この妹にはわからないでしょう。

みることはないにしても
せめて家に下ろして保管してくれるとかしてくれなかったのか。

あの講座をみて、どう感じたんでしょうか。

それで、帰ってきて母に『講座にいって来たから、資料だけでもみてくれ』って机の上に出しました。

母に声かけなかったのにも、私なりの理由があって、これまでの積み重ねです。要は。
以前にも同じような講座に参加した時、妹と同様、その資料は車に置きっぱなし。しまいにはどこにおいたのか忘れる始末。

それに、他人のまえでは、
知ったような口を聞くけど、何にも分かってないのが事実。
私は、黙ってるだけで何も言わないけど。

本当に、私の病気について知りたいなら、自分でも勉強するのが普通じゃないかな?本当に知りたいなら、そうするよね?

私がポツリポツリと呟いた浅い知識だけをさも、自分はちゃんと理解してるかのように話すけど、それも浅過ぎて間違った解釈になってるし、
話にならない。

それで説明したら、
『自分の都合のいいように話してるだろ?』と言われる始末。

私が腎臓病になった時、透析を始めた時、本屋でそれに関する本を買ってたけど、ぺーじを開いたことさえない。

こういう経緯を踏んで来たからこそ、
連れて行ったところで、何かが変わるわけでもなし。全部を知った気になって、また、周りに自慢げに話すんだろう。

結局、母が言った事は
『どうせあんたは自分の事しか分かっていないわけさ。なんでこんな事があるって一言言えないの?そんな風にされて、私がどんな気持ちになるかわかる?』
『資料は後からみるから、片付けて置いて』

でした。旗から聞けば、
母がかわいそうに感じるかもしれません。

本当に後から見るなら、資料は自分で片付けるはずですし、
どんな話があったのか私に聞いてくるのが普通かな?と思いますが、私から今日はどんな話があったか話し始めてもテレビに夢中で返って来た言葉はなし。

私も途中で話すのは辞めました。

未だに、資料は?と声かけてくる事もないですし、たぶんもう忘れてることでしょう。



透析を始めた時に、早速移植の話がでて、父は迷わずたくさんの検査をしてくれました。

けど、カテーテルを3回もしてる身体では何が起こるか分からないから、出来なかった。

母は、定年を迎えるまで待って欲しいといいました。それから、私に腎臓を与えたら、またすぐに調子に乗るから、お前が反省してちゃんとできるようになるまでは、やる気はないって言われた。

最初でそう言われて、この人から腎臓を貰いたいと思えるだろうか?

目に見えて分かってることは、
腎臓を私にあげた途端に、事あるごとに恩着せがましく小言を言ってくるだろう。ということぐらいです。

私だって、
ほんとは移植したいです。
やりたい仕事があるし、やりたいことだってたくさんあります。

私は、生活習慣病でこうなったわけじゃありません。

もともと腎の働きが弱かったのに、それを無視して働いて、なかったことにして、そうして来た結果の今があるんです。

確かに、私の生活や行動が悪かったのは認めます。
だけど、あの時は夢に向かって進んでたし、それが楽しかった。
自分のやりたかった仕事に付いて、認められて、一人で仕事が出来るようになって。

誰が止められるのでしょうか。

薄々、感じてはいました。
なんか身体がおかしいって。
だけど見て見ぬ振りしてた。
それに気付いたら、辞めないといけないのが分かってたから。

ぎりぎりまで行こうって。

現に、辞めることになって、
なかなか仕事が見つからない中、
見つけたとしても、私の病気について理解してもらえないし、
今は障がい者雇用で、採用してもらって、邪魔者扱いで仕事をしてる。
どれだけ惨めな気持ちで毎日過ごしてるか。

本当は、そんな風に過ごしてる。

だけど、それを認めてしまったら、
自分を否定することになるわけで。

移植したら何か変わるのかな。

透析患者の平均寿命は、
15年から20年らしい。

ということは、このままずっと透析をするなら、あと10年生きられるかどうかなんだな。

はあ、考え過ぎて疲れた。
とにかく、これからも私が家族に『私のことを分かってもらおう』とは
思わないこと。

協力してくれるなら、
とてもありがたいけど
私から協力は求めないこと。

家族から腎臓をもらう気はさらさらないこと。

これだけは確か。

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